年齢 和暦 西暦 事       項 リンク
65 大正 11 1922 5月〜9月 欧州へ 
万国理学文目録国際会議に出席する
万国学術研究会議第2回総会に出席する

当時のパスポート


(第5次渡航)
神戸港から諏訪丸にて門司・上海・シンガポール・ポートサイド・マルセーユ・ロンドンブリュッセル・ロンドン・マルセーユ・神戸着
11月 アインシュタイン来日 
(日本へ向け航海中の船上でノーベル賞授賞の報を聞く)
(小石川植物園にて)
学士院主催歓迎会を開く
66 12 1923 7月〜10月 豪州へ
第2回汎太平洋学術会議に出席する 
貴族院議員代表メンバーと共に豪州を視察する 
(滞在中に関東大震災が起きる)
(第6次渡航)吉野丸にてマニラ経由シドニー・メルボルンへ
シドニーから安芸丸にて神戸入港
10月3日 赤道通過・仮想大会で優勝
「家族全員無事」電報
68 14 1925 学術研究会議の会長に就任する 学術研究会議に関する遺品資料の一部
69 大正 15 1926 1月 枢密顧問官に任命される  親任式の朝、曙町お玄関にて
月 帝国学士院院長に就任する
第3回汎太平洋学術会議が安田講堂で開催される(大正15年10月30日)
日本最初の国際会議で議長を務める
70 昭和 2 1927 英語教授研究所顧問に翌年理事長に就任する
(現・財団法人語学教育研究所)
初代所長パーマー博士
9月 曙町邸の宅地を土井氏より購入
(2万8千161円89銭)
71 3 1928 5月〜10月 豪州へ 
 *万国学術研究会議第4回総会に出席する
 *万国化学協会第9回総会に出席する
第七次渡航)
門司から筥崎丸にてエーデン・紅海・ブリュッセル・ハーグ・ロンドン〜ジブラルタル・ネープルス・ポートサイド・香港・神戸入港・東京着
ユーモラスな手紙 
72 4 1929 1月8日 曙町邸 地番変更登記(曙町16番地から3番地へ)
8月13日 天皇皇后両陛下より思召「鮎三十尾」
枢密顧問官 櫻井錠二殿 侍従長 鈴木貫太郎
74 6 1931 12月 東京女学館第6代館長に就任する   情報をお寄せください
第一回卒業式式次第
75 1932 財団法人日本学術振興会設立・理事長に就任する  援助金協賛願い
12月金婚式 東京會舘にて
夜は曙町自宅にてクリスマス会
金婚式
金婚式記念家族寄書き
76 8 1933 2月13日 妻三子逝去享年67歳
10月 国幣大社気多神社奉賛会委員長
気多神社 国幣大社昇格二十年
浄財寄進依頼
77 9 1934 5月30日 国際文化振興会顧問委嘱
78 10 1935 10月 日本学術協会第11回大会 金沢で開催される
新聞記事
前田公爵とご一緒に撮影(兼六公園で園遊会)
*生誕地を訪れ馬を繋いだ桜の木を確認する
☆ 五男櫻井季雄博士の発明
             
理研ニュース2000年6月号 特別企画へリンク
「私の父」次女鈴木文子
80 12 1937 1月宮中杖を拝領する   辞令交付状と宮中杖
3月〜7月  欧州へ 
 *万国学術協会会議第三回総会に出席する
ロンドン大学名誉学友推選祝賀会での演説
第八次渡航)
東京駅・特急ふじにて神戸・第66次香取丸にてシンガポール・ポートサイド・マルセーユ・ロンドン着
4月29日 昭和天皇誕生日レセプション・メニュー・
音楽プログラム・於 在英日本大使館
6月11日 ロンドン出港 日本郵船靖国丸にて帰国へ
ジブラルタル海峡・マルセーユ・ネープルス・ポートサイド・スエズ・コロンボ・シンガポール・香港・上海・神戸・大阪・6月23日横浜入港
香取丸で最後の渡航


神戸出港前・三好一家と
12月13日 九和会設立 (慶弔規約の細則は昭和13年1月22日)
昭和19年9月に規約の改正をし、会員名簿作成、同時に「九和会だより」第1号を発行する。
82 昭和 14 1939 1月28日逝去 享年82歳 
2月18日青山斎場で葬儀が執り行われる
葬儀の模様
弔辞リスト
追悼文
ストーブス博士発見の古代植物(化石)に錠二に因んで命名される
☆ストーブス博士の業績紹介のページ
学士会月報追悼文より)
”LOMAX社植物化薄片標本”リンク 
ストーブス博士関連リンク
会員専用Top 会員専用年表1 会員専用年表2 会員専用年表4
会員専用  理学博士 櫻 井 錠 二 年 表 3
晩年は学術の振興に奔走する 平成19年2月移動・追加項目